真由美さんの場合 『それでも病気に負けない』

真由美さんの場合

遺伝性の治らない病気があるなんて、思ってもみませんでした。

長男、長女、次女の3人の子供のうち、40歳になる長男(光)と、長女(彩)がDRPLAを発症しました。

光は小学校高学年ぐらいから、勉強についていくのが困難になってきました。

その頃、学習障害という言葉が世間を騒がしていて、私は光もそれではないかと色んな機関に問い合わせましたが、回答はもらえませんでした。

何かこの子に秀でたものがないかと、色々なことに挑戦させました。

ただただ真っ暗闇の中に、一点の光をみつけたいと必死でした。

彩は小学校に入った頃から、自己中心的な行動が多かったです。

この子にも何か見つけてあげないといけないという思いが強くあり、当時はまだ病気もわかっていなかったので、無我夢中で答え探しをしていました。

もがいている最中に光がてんかん発作を起こしました。

この頃はまぶしい光線でてんかんを引き起こすというのが問題視されていました。

スーパーのおもちゃ売り場で光にゲームをさせていて、てんかんがおこったので、私がちゃんと注意していなかったからだと後悔しました。

学校の勉強にもついていけなくなり、光は不登校になりました。

それでも何とかしなければと、フリースクールを探して通わせました。

光は、てんかんの薬を服薬してるのに、何度も発作はありました。

今思えば、てんかんはこんなもんなんだろうと、真剣に思っていなかったかもしれません。

何とかこの子の将来を、進む道を探してあげないといけないという思いでいっぱいでした。

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私には、他にも心配事がありました。

子供達が小さかった時、元夫は脳出血で倒れて、その後仕事もせず、家で過ごしていました。

私が働きにでましたが、彼は家にいるのに私がご飯を作っていっても、子供たちに食べさせてくれません。

子供たちはお腹がすいているのに、寝てしまっているという状態が続き、最終的に離婚しました。

多分夫もこの時点で、病気が発症していたのでしょう。病気がわかっていたら、多分離婚していなかったと思います。

その後は子供を養わないといけないので、生活の為に必死で働きました。

長女の彩にもてんかん発作が出た時は、「私もいずれてんかんになるのでは?」と、症状のない次女が、今度は悩みました。

小児科医にフォローしてもらい、何とかくりぬけましたが、次は光が精神的に崩れて、すぐに次女を殴るという行為が続くようになりました。

救急車を呼ばないといけないケガもありました。自分が妹をケガさせておいて、「僕もケガしてる」と救急隊に話してる言葉を聞いて、「何?やっぱりこの子、どこか違う。おかしい・・」と感じた瞬間です。

娘の彩はもっと凄かったです。気に入らないと手あたり次第に物を投げてきて、一番酷い時は、家中の食器をなげられ、家電製品も全部なげとばされました。その後、泣きながら片づけた辛さは忘れられません。

彩の暴走を止めに入って取っ組み合いになり、いつもどこか傷だらけでした。

「私、この子を殺してしまいそう」と我に返る時が何度もありました。

そこに兄の光も参戦してきて、私と彩の取っ組み合いが、光と彩の取っ組み合いにかわったら、それを止めるのがどれだけ大変か。

手加減を知らない二人です。どうやっておさまったのか?色々ありすぎて、もう記憶は薄くなっています・・・

他にも彩は夏祭りの時期、お祭りになったら、全く家へ帰ってこなくなります。次女と二人で、彩を部屋に閉じ込めて、出ていかないようにしたり。

常に次から次に問題が発生し、泣いてなんかいられず、どうしたらいいのかばかり考えていたように思います。

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その後病気が判明し、今までの現行は病気のせいだとわかりました。

少しは納得しましたが、今度はどんどん進んでいく病状に心配は尽きません。

またDRPLAを発症していない次女に子供が生まれ、「脳波に乱れがある」といわれた時「病気が遺伝していたら、どうしよう」と、次女まで体調が悪くなりました。

遺伝相談に行ったり、孫が走っててちょっとつまずいたら「病気じゃないか」とオドオドし、いつも安らぐことはありません。

みんなを苦しめる遺伝性の病気。

なぜ私の子供なんですか?

神様、私は強くないんです。どれだけ私を試されているのですか?

辛いです。辛いんです。

病気の初期は初期で悩みはつきず、今みたいに重度になったらなったで、次の悩みがあります。

常にあれをどうして、これをこうしてと、「今の二人に楽しんでもらうことはどうしたらいいのか」を考えてしまいます。

病気になっていなかったら、結婚して子供もいて、家族で過ごしている事でしょう。

二人とも、何も言いません。どう思っているのでしょうか?

何も言わないから、余計につらいです。

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病気が進行し、今は二人とも笑う事が少しできるだけになりました。

褥瘡ができそうになったり、夜中も吸引しないといけません。

私はぐっすり寝ることができなくなりました。

常に2時間ほどで目が覚めて、夜中でも発作があるので、ちょっとした音で目がさめてしまいます。

癲癇がネックで、ショートステイで預かってくれる所もありません。

朝夕は、ヘルパーさんに来てもらってはいます。

みんな「お母さんが倒れたら困るからね。ゆっくりしてね」と言ってくれますが、現実には難しいです。

以前は公的補助制度もわかりづらく、誰に聞いてもちゃんと教えてくれる方がいなくて、自分で調べて使える制度は全て使うようにしました。

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今年、光が40歳になり「介護保険を使うように」と市から言われました。

でも介護保険を使うと、今まで障害枠で使ってるサービス全てに費用が発生します。

「介護保険になったら、福祉用具がレンタルできますよ。レンタルできれば、症状に応じて必要なものがそろいます」と言われても、今更レンタルするものなんてありません。

全部障害の補助金で購入済みなんです。

欲しい時はレンタルできず、もういらないって思っている時に、今さらレンタルって言われても困ります。

その上、いつ発作があるかわからない、フルタイムで働けない状態なのに 介護保険になればサービスにお金がかかるなんておかしいです。

市と掛け合って、「最終は施設に入る予定で、施設が決まるまでの間は障がいサービスでいく」という内容で、今のまま障がいのサービスが使えるようになりました。

でもそういう事を知らない方は、40歳になったらいわれるがまま介護保険に移行し費用を払っています。

そういった矛盾も、私は声を大にして皆に伝えていきたいです。

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もう病気になってしまった事を悔やんでも仕方ありません。

今は同じDRPLAの家族の方を知り「私一人じゃない。皆もこの道を戦ってきたんだ」と、すごく力になっています。

家族会は、私の悩みを聞いてもらい、助言してもらい、勇気をもらっています。

この薬が効いたよ。発作の時はこの薬がいいよ。オムツになった時の対応等、何でも気軽に話が出来る輪です。

また私の体験した事が、誰かの役に立つような家族会です。

遠くの方ともリアルに話ができる。情報交換ができる。ありがたいです。

「早く薬ができて、今の状態を維持、いいえ、少しは言葉を発っしたり、感情を表現できるようになってほしい」

そう心から思っています。