主人と結婚をしてから11年目にやっと授かることができた長女は、とても元気で、食べ物の好き嫌いも無くて、性格は穏やかで、育てやすい子どもでした。
小学校高学年までは走ることも得意で、ダンスも習っていました。
一方で気になることもありました。
環境の変化や急な予定の変更に対応することが難しかったり、勉強についていけなかったり、時間や距離の感覚がめちゃくちゃで、お友達との待ち合わせがうまくいかなかったり。
常に私の声がけ、サポートが必要な状況でした。
私は検査の必要性を感じていましたが、本人が強く拒んだのでそのまま公立の中学校へ進学。
その頃から走ったり泳いだり、細かい作業も少しずつ難しくなっていきました。
勉強の遅れはどんどん進み、本人も辛かったのか登校しても、保健室で過ごすことが増えました。
高校受験を意識し始めたタイミングで本人から「検査を受けたい」との話が出た為知能検査を受けた所、軽度知的障害との結果が出ました。
私は長女に『もう「頑張れ!頑張れ!なんでできないの?もっと頑張れ!」と言わなくて良いんだ。本人が穏やかに過ごせる環境を一緒に整えて行こう』と、ホッとした記憶があります。
高校はサポートの手厚い通信制高校へ進学。
よい先生方やクラスメイトに恵まれ、楽しい高校生活を過ごしていました。
ところが2022年、高校3年生の時に初めて痙攣発作を起こして検査の結果、てんかんと診断されました。
その後は服薬しながら自立訓練事業所、就労移行支援事業所に通所をしていました。
主人は子ども達を可愛がるとても優しいお父さんでしたが、一度気になることがあると他のことには構わず、とことん追求をして行くタイプでした。
2011年頃からは自分の行動や欲望のコントロールが難しくなってきたのか、金銭問題をたびたび起こして、私はその度に裏切られた気持ちになり、夫を信頼できなくなっていきました。
その頃、子育てと並行して夫の両親の介護をしていて、私自身も大変な生活を送っていましたが、夫は私を労うどころか自由に過ごして私に対して暴言を吐いたり金銭問題を起こしたり。
私は精神的にも肉体的にもとても辛い毎日でした。
もう限界だ。離婚しよう。と思っていた矢先に、夫が意識を失い救急搬送されました。
色々な検査の結果DRPLAと診断されました。
「恐らく亡き父親からの遺伝と思われる。娘にも遺伝している可能性が高いので、遺伝子検査を」と言われ、検査の結果同じ病気が分かりました。
私は色々な不安がこみ上げてきました。
今は健康な息子は大丈夫なのか?
病気はこれからどうやって進行していくのか?
自分1人で夫と娘を支えていけるのか?
経済的に生活していけるのか?
その様な中ででも泣いてばかりいられず、病気はどんどん進行していき、私は役所の手続きや年金の手続き、介護を受けるための申請など忙しく過ごしてきました。
診断から約一年経った現在の夫は、車椅子で生活をしています。
相変わらず私への暴言や、こだわりだすと止まらない傾向は続いています。
娘のてんかん発作は増えたり安定したりと、気が休まりません。
認知機能の低下や、歩行時の不安定さなどが進んでいます。
私たち家族のDRPLAとの戦いはまだ始まったばかりです。
これからも多くの困難が待っていることでしょう。
一つ一つ乗り越えて悔いなくしっかり生きて行きたい。
今の私の心情です。
