Eさんの場合 『できていた事が全てできなくなって』

私の娘は27歳、DRPLAを患っています。

娘は逆子であったため帝王切開で生まれてきたとき、へその緒が体に巻き付いていたと聞かされ心配しました。でも標準より少し早いくらいに順調に発育・発達し、すくすくと成長していきました。

それが9歳位から学校の勉強に遅れがみられるようになりました。学習障害か何か他の発達障害があるのではないか思いました。でも担任の先生や周囲から特に問題を指摘されません。どこに相談すればいいのかわからず、当時は私一人で悩んでいました。

12歳で初めててんかん発作を起こし、その後13歳で知能検査を受け、知的障害の診断をされました。

学習面でずっと悩んでいたことの答えがわかり、すっきりしたのと同時に、障害のある我が子が将来自立できるのか、生涯にわたって支えていけるのか不安など複雑でした。

それともう一つ、てんかん発作が年に数回あり、発作の度にいつもすぐけいれんが収まるから今回も大丈夫?でももしかしたらこのままけいれんが収まらずに死んでしまう?と、毎回ドキドキしていました。薬の量・種類も増えていきました。

20歳少し前くらいからふらつきが見られるようになりました。てんかん薬の副作用といわれましたが、洋服を着る事ができない、食べこぼしがある、失禁するようになるなど、日常生活動作は自立していたのにだんだんとできないことが増えていきました。知能指数も減少し23歳でDRPLAの診断をされました。

娘が成人してから、親亡き後に娘が暮らしていくためにはどうしたらいいか勉強していたので、病名を聞いたとき、これで娘が死ぬまで私が面倒を見てあげられる、親亡き後のことは考えなくていいんだと妙な安堵感をおぼえたのも事実です。

けれど遺伝性の病気だけれど、親族にこの病気の人が誰もいないので、両親どちらからの遺伝なのかわからず、私か夫のどちらかが今後発症するかもしれない懸念が残っています。

娘がてんかんを発症しては泣き、知的障害と診断されては泣き、DRPLAと診断されて全てこの病気のせいとわかって苦しいです。

診断されて4年で日常生活、すべてに介助が必要になりました。

歩けなくなり車椅子での移動となり、誤嚥性肺炎を2度起こし経口摂取もだんだん難しくなっています。話す言葉も少なくなり聞き取り難くなって意思疎通もままなりません。

知的障害があっても自立して生活できるようにがんばってきた10代の頃を思うと、せっかくできるようになった事が全てできなくなったとを思うと、どうしようもないやるせなさ悲しみが襲ってきます。

はやく治療法が確立されて、悲しみの連鎖から解き放たれますように。