Aさんの場合 『何故二人ともが難病に』

私には28歳の息子と26歳の娘がいます。2人ともDRPLAに罹患しています。

家族歴を辿れば、分かっている範囲ではこの子達の父親、祖母、叔父、祖祖母がこの病気でした。

当時はDRPLAという病名までは分からず、脊髄小脳変性症であったと聞いています。

 

子供達の父親とは子供達が11歳と9歳の頃に離婚しています。

離婚の原因は色々とありましたが、一番は主人の人格の変化と仕事をしなくなった事でした。

当時私は子供達二人ともに発達の遅れがあったこと、二人ともにてんかん発作が起こっていたこと、

この頃はまだDRPLAという診断がついていなかった事もあり、本当に悩んでいて苦しい時期でした。

一番頼りたいはずの主人にも頼れず、経済的にも悩まされ離婚を決断したのですが、今振り返るとこの頃すでに主人もDRPLAという病気を発症していたせいだったのだと思います。

主人は離婚して数年後に身体にも変化が現れ病気を発症していることが分かりました。

その後41歳頃にDRPLAが直接的な原因ではありませんが、心筋梗塞で他界しています。

 

子供達の病歴についてですが、娘はお兄ちゃんと比べるととてもよく泣く子だったので育てにくさはあったものの発語や運動面の発達にも遅れはなく元気に成長していきました。

3歳で保育園に入園し、最初に異変を感じたのが5歳の時のお絵描きでした。周りの子と比べると明らかに娘の描く絵に発達の遅れを感じました。その後の発達検査で軽度の発達遅滞と診断されました。地域の小学校に入学したものの、文字を書くことも出来ず2年生より支援学級に入りました。

初めててんかん発作を起こしたのはこの頃8歳の時でした。1年後に再び発作を起こし、9歳の頃からてんかん薬を服用し始めました。年に数回だった発作も段々と増えていき、12歳で兄の遺伝子検査によりDRPLAと診断されました。(遺伝子検査は保険がきかない為高額なので、症状の軽かった兄のみ受けました。)

13歳の頃より手に震えが出始め15歳の頃には足にもふらつきが出始めよく転ぶようになりました。毎日毎日どこかに擦り傷を作る日々でした。

17歳の頃には長距離の歩行が難しくなり19歳頃には完全に車椅子を使うようになりました。

その後、月に何度も大発作を起こすようになり嚥下機能もどんどん落ちていきました。

22歳で胃瘻を造設し、一切口からの栄養をとれなくなりました。

23歳頃より誤嚥性肺炎を頻繁に起こすようになり、痰吸引の欠かせない生活になりました。

人との関わりやお喋り、歌ったり踊ったりするのが大好きな娘でしたが、今では話すこと食べることおそらく視力までも奪われてしまいました。

26歳の今では完全な寝たきりの生活になってしまいました。

 

次に息子の病歴についてですが、息子は不器用な面は多々ありましたが目立った発達の遅れはなく元気に小学校に入学しました。

最初に遅れを感じたのは小学校3年生の頃、当時の担任の先生から面談での「努力が足りなくて出来ないのではなさそうです。」という言葉でした。妹の発達障害のことがあったせいもあり、この時のショックは忘れられません。なぜ2人とも・・・

その後発達の遅れも大きくなっていき、10歳の頃初めてのてんかん発作を起こしました。それは娘が初めて発作を起こした同じ年の同じ月でした。11歳よりてんかん薬を服用するようになり、14歳の時に遺伝子検査でDRPLAと診断されました。

娘より少し発症も遅く、進行も娘より緩やかではあるものの確実に進行していきました。

24歳頃より足にふらつきが出始め、呂律も回らなくなり言葉も聞き取りにくくなっていきました。

28歳の今では支え無しで立つことも難しくなり車椅子生活になりました。

今のところ嚥下機能に問題はなく食事することも話すことも出来てはいますが、やはり認知機能は確実に落ちてきています。

出来ないことがどんどんと増えました。娘の進行を先に見てきているのでこの先息子も同じように進行していくのだと思うと本当に胸が張り裂けそうな思いです。

 

親として子供達2人の成長ではなく衰退を見ていかなくてはならないのが本当に悲しいです。

この病気は本当に恐ろしく残酷な病気です。そして何より当事者である子供達自身の辛さや苦しみは計り知れません。傍にいても何もしてやれないのが本当に辛いです。

どうかどうか1日でも早く薬が届き、子供達の残りの人生が少しでも良い方向に向かうように切に願っております。